「ニート」になって考えた 方瀬りっかさんのなんだかとってもちょうどよい生きかた
2022.12.10
「なんだかとってもちょうどよく生きるもの」
自らをそう呼ぶ、方瀬りっかさん。
podcastでラジオ番組「にんげんさんぽ」を配信したり、畑を耕したり、コミュニティのお手伝いをしたり、占い師をしながら、自分の働き方をつくっていこうとしている。
昔会ったことのある彼女に改めて話を聞きたいと思ったのは、noteの記事を読んだことがきっかけ。
「方瀬、ニート※になる。」 https://note.com/katase_moo/n/n7615d6566d70
仕事を退職し、これからニート期間を過ごすよ、という決意が書かれた記事には、ニートとは「何もしなくてよくなった時に、自分が何をしたくなるのか知るための期間をすごす者」と定義されていた。
読んだ時にすごいなと思った。私も仕事を辞め、立ち止まっている人間なのだが、働いていない自分にうしろめたさを感じたり、妙に焦ってしまう。彼女の記事には、心のありようを見つめ、「ニート期間」を通して自分を一度大平原に放ってみるという希望が書かれてあった。情けなくて半ば自虐的に使っていた「無職」「ニート」という言葉が、ちょっと違った色合いに見えてくるような感じがした。
この人に話を聞いてみたい。春からの彼女の「ニート」期間を、どんな風に過ごしてきたんだろう。どんなことを考えているんだろう。その問いが、私自身もこれからどう生きていくかを考えていくきっかけになる予感がして。
横浜の「海のみえる丘公園」で行ったインタビューは、途中から、りっかさんへの悩み相談に近い形になりました。同じテーブルに座り、公園を散歩しながら、一緒におしゃべりしている気持ちで読んでもらえたらうれしいです。
方瀬 りっか(かたせ りっか)
「なんだかとってもちょうどいい感じ」をモットーに、誰もがちょうどよく働ける仕組みづくりを生業にしたい27歳。現在は、人生の夏休み期間と称し、誇り高きニートとして数多の挑戦に明け暮れる日々を過ごしている。例えば、ラジオをやってみたり、まる一日耐久でワンピースを観たり、畑を耕したり、作りすぎたズッキーニを活用してドリンク屋さんをしてみたり、一緒に仕事をしてみたい人や会社に営業をかけてみたり、運転免許の勉強をしてみたり、メルカリをはじめてみたり、エトセトラエトセトラ。
―――りっかさんは「ちょうどいい」という言葉を大切にしていますよね。そう思ったきっかけがあったんでしょうか。

「ちょうどいい」っていう言葉が浮かんできたのは、社会人に入る前ぐらいの時だったかな。学生時代から舞台芸術の制作や人材育成(ボランティアやインターンのマネジメント)の仕事に関わっていたんですけど、現場を見て、なんか苦しそうだなって感じてしまったんです。せっかく意思や思いのある人たちがいるのに、仕組みが追いついてないのか、頑張り続けるのにはしんどい働き方になってしまっているのかなと。その時はそう思ってたんだと思います。そのあたりから、自分にとっては「ちょうどいい感じに生きる」ということが大切なんだと考えるようになりました。
―――大学を卒業して、どんな道に進んだんでしょう。
「なんだかとってもちょうどいい感じ」ってモットーが軸になった上で、じゃあどのように自分を社会の中で使っていくのか考えたときに「誰もがちょうどよく働ける仕組みをつくりたい」って思って。最初は就活をしてなくて、ゲストハウスの住み込みバイトでもしながら仕事つくるかって考えてたんですけど、ポートフォリオの整理のために仮に使っていた「WANTEDLY」でスカウトが来て。それが一社目の会社です。話を聞いたら、会社の理念もメンバーも面白そうだったし、仕組みをつくりたいと考えた時に、組織の中でどういう葛藤が起こるのか、何を感じるのかを経験しておいた方がいいよなと思って入社を決めました。
――就職してみてどうでしたか?
配属は不動産の営業だったんです。すごい学びになりました。会社組織で働くとか、チームで数字をあげるとか、人生の中ではじめてだったし。お客さんの「家を買う」っていう大きな決断に立ち会うこともかけがえのない経験だったなと思っています。加えて、自分がやりたいことは、「誰もがちょうどよく働ける仕組みをつくること」だから、そういう視点で会社を見回していました。それこそ勝手に人事みたいなことをやったりして、調子が悪そうなメンバーに声をかけたり、辞める人の話を聞いたり。まあ、おせっかいなんすけど。
あと、なんか苦しそうになってるチームで、リーダーも含めたメンバーひとり一人に話を聞いて、改善案を提案したりして。実際それで成果もでて、「最近あのチーム楽しそうだよね」と言われると、めちゃくちゃ嬉しかった。そういうことしてたら、やっぱり人事や労務みたいなポジションでやってみたいと思ったんです。一応、2年目面談で希望を話したけど、コロナの影響もあってしばらくは難しいと言われて。この会社がすごく好きだったし、ここ以外に自分を受け入れてくれる会社があるのか不安で悩んだけど、思い立ったら早い方がいいと思い辞めることを決めて、労務の仕事が出来るところに転職しました。
――転職することへの不安もあったんですね。
私は会社員的な意味で考えた時に、そんなに使いやすい人材じゃないって思っていて。言うことを聞くのが下手なんですよ。「Aをしてください」って言われた時に、自分は言われた通りAをしているつもりなのに、なぜかついついオリジナリティが出てBになっちゃう。「Aってこういうことですか」と認識が一致するまで何回も聞けばできるけど、指示する側からすると面倒くさいじゃないですか。だから使いづらい。あと、つい出てしまうオリジナリティは、言うことを聞くのがただ下手くそというだけなのに、歯向かっていると捉えられてしまうと関係がこじれる原因になりかねない。
その特性を逆に利用できるような、例えば「ここ、どうにかしたいんだけど、打開策がないんだよな」って時だと、いままで通りにやるのが下手だからこそ「こんな風にやったらいいんじゃないですか」と提案ができたりするかなと思います。
こんな特性に気づきつつあったからこそ、転職は、世間一般ではきっと言われたことを言われた通りにできる人が求められるんだろう、自分の使いづらさをいいねって言ってくれる会社が他にあるだろうかという不安はありました。
――転職したのは、社労士事務所でしたね。人事労務のことに関わってみて、どうでした?
実際に人事労務の仕事に関わってみたからこそ、「これじゃない」っていうのがわかりました。あと、社労士事務所で働いていたときの私は、自分で言うのもなんですけど、自分の思うOLとしての最高傑作の生活をしていたと思っているんです。自分の中で完成されちゃったんですよね。何の文句も言えないくらいに充実してた。このまま定年して、死ぬまでこの生活でも悪かないなと。けど、先が見えちゃったのがたぶん面白くなかったんじゃないかな。やっぱなんか違うなって思って、1年間半くらい働いて、ニートになろうと決めたんです。
「ニート期間」を、3段階のフェーズで考える
――仕事をやめて、転職先をすぐにさがすわけじゃなくて、一旦「ニート」期間を始めたんですよね。

その「ニート」期間も何段階かある感じなんですよね。ざっくり分けると3段階で、今の私はフェーズ3だと思ってて。最初のフェーズ1は、とにかく河原で寝転がってた。自分の感覚を取り戻す感じで何も考えずに「風が気持ちいいな」「まぶしい」「帽子かぶろう」とかって。働いているとそういう感覚より「次はあれして、これして」と時間を過ごすじゃないですか。そうじゃない時間の過ごし方を試していました。
――河原で寝転ぶの、気持ちいいだろうな‥。
ちょうど初夏の時期だったんで、めっちゃ気持ちよくて。ただただ日が暮れていくのを見守って自分の身体感覚を思い出していました。そのときは身体の感覚を思い出そうと思ってやってたわけじゃなくて、「河原で寝そべろう」って思ったから寝そべっただけなんですけど。ニート期間を私は「何もしなくていい状態になった時に何がしたくなるのか」ってことを探る期間と捉えていて。だからこそ、最初のフェーズ1は、とにかく何もしちゃだめだったんだと思います。何もしないって言うのを自分にさせて、次に何かしたくなるまでとにかく何もしない。
――「おちついて、川で寝そべる、なにもするな」っていうのは、言うのは簡単だけど、実はすごく難しいですよね。仕事辞めたばかりだと「今頃会社の人はどうしてるのかな‥」とか空を見ながら考えて具合が悪くなる気がします。
難しいと思います、ほんとうに修行、修行。でも、ニート期間は、何もしちゃいけないから。「あー」って思い出しちゃってるってことは、頭がそっちに行っちゃって、何かしちゃってるってことだから。「戻ってきて、ここだよー」「be here!」「ここにいてくださーい」みたいな訓練を最初にやってたんだと思います。

――フェーズ2はどんな感じなんでしょう?
行きつ戻りつしながら、ちょっとずつやってみたくなってきたら、フェーズ2かな。私は、誰かのところに遊びに行くとか、ちょっと勉強してみたいことを勉強してみたり、本を読んでみたり、絵を描いてみたり、ラジオをやってみたりしてました。何かしたくなってからやるのって、創造性が高い状態だと思うんですよ。無理なく、パフォーマンスがよい状態でできるから気持ちがいいんですよね。
――フェーズ1の日々でエネルギーを蓄えてきたからパフォーマンスが高い、ということなのでしょうか?
蓄えているのとはちょっと違うんですよね。洗濯物のハンカチをイメージしてほしいんですけど、ハンカチってたたむ時にしわを伸ばすじゃないですか。さっき言ってた第一段階は、しわをのばしている状態。そっから、たたもうと思ったら指でハンカチをつまみあげると思うんです。つまみあげたときのハンカチの形って無理がないじゃないですか。重力にしたがって引き上げられて、変に角ばってたりしない。無理がないし、一番その状態であるかたち。それが、やりたくなったときにやってみるフェーズ2の段階。その後に、その折り目に沿ってたたんでいく。形、というかパッケージになっていく段階を、社会とどうつなげていくのかって考えるフェーズ3かなって。
――フェーズ1でハンカチのしわをとって、ハンカチを持ち上げて、やりたくなったことをやってみるのがフェーズ2、今は社会とつながろうとしているフェーズ3にきたってことですね。
そう、この形のまんま、どう社会の中で位置づけられるか。自分に無理がない状態で世の中にどういられるのか。それってどういう環境なのか、どういう人なのか、どういう職業なのか、どこで住むことなのか、っていうところにきたのかな。
そのままの私でいいと思えるから、地べたに寝っ転がれる
――段階をちゃんと順番に踏んでいるのはすごいですよね。私は焦って、先に社会のつながりを作ろうとして就職して、自分をあてはめようとして失敗したりもしました。りっかさんはどうしてそのフェーズを順々に踏むことができたんでしょう。

その行動ってきっと「不安」からでしょ。不安とか焦りがあるから、最初に社会につながろうとしたり、誰かから認めてもらおうと思ったり、そういう動きをしちゃったりするんですけど、多分焦りは禁物なんですよ。そこで大事だったのが、自分にとっては「セルフプロデュースお誕生日会」だったんですよね。
――セルフプロデュースお誕生日会?!
セルフプロデュースお誕生日会は、自分のお誕生日に大好きな人たちを集めてきて、その人たちをもてなす会なんです。私は基本的に愛が重くて大好きな人たちをすごく大事に思ってる。でも愛が重いから、普段から気持ちのままに接すると相手は重さで死ぬかなって思っているんですね。だから、出すぎないようにコントロールしてるんです。
でも、セルフプロデュース誕生日会の時は全力で出していいことにしてて。大切に思う友達を呼んできて、好きなようにプロデュースして料理を用意してコンテンツをつくり「私はあなたのことをこう思っていて、尊敬していて、あなたといるときの自分はこういう風になれて、あなたのことが好きなんです」ってひとりひとりに言って、大好きな人たち同士の関係をつなげて、大満足。
――大好きな人たちをもてなして、大好きだと伝えることが、不安がなくなることにつながっているってことでしょうか?
自分が好きって伝えることで、「好き」って別に条件があるわけじゃないな、っていうのが確認できるというか。私がこの人たちを好きなのは「こういうことをしてくれる」からとか「役に立つ」から好きってわけじゃない。反転すると自分も、役に立つから好きって思ってもらえているわけじゃない。それってつまり「そのまんまで良い」ってことじゃないですか。
――大好きな人たちのそのままを愛するってことによって、自分自身もそのままでいいって思えるってことなのでしょうか。
すごくそう思えるし、向こうからも愛がすごく伝わってくる。この人たちは私のできないところもふくめて好きって言ってくれているんだなって。だったら、今まで色々役に立とうとしてやっていたことは意味ないじゃん?みたいな。私は、役に立たないと自分のことを好いてくれない人に好いてもらいたいのか?いや、心底どうでもいいなって思ったんですよ。
――それは、すっごい大事なことだよね。
ハンカチの話にもどるけど、しわを伸ばすには、地面に落ちるっていうか、たいらなところに一旦置く必要がある。でも、多くの人ががんばって、下にいかないようにしてる。地べたに行くってことが負けな気がして怖いんだと思います。それでも、私が河原でべたーって寝転がれるのは、そういう自分を好きって言ってもらえる可能性があると世の中を信じられる状態だから。自分のことが好きとか、自分のことをみとめられる状態があるからこそ、地べたに寝転がれるって話です。そうじゃないと、「早く立ち上がらなきゃ、みんなに追いつかなきゃ」ってなっちゃうからね。
――そうは思っても、ついつい周りのひとの目線とか気になっちゃうこともありますね。
自分のこと以外考えるのは、だめだからさ、ニート期間。だってニートだよ?誰にも何も強制されない期間なんだよ。なんで何も強制されてないのにあえて強制されに行くの、って話じゃないですか。だめです。「ニートであることに誇りをもってください!」まあ、もちろん諸説ありますよ(笑
「自分とのチームワークを大切にする」こと
――フェーズ3で「社会とどうつながっていくか」というところまで来て、今はどんな感じですか?

面白い。まあ、やっぱり自分だけで完結しないのって、予想外のことが起こったりするわけじゃないですか。予想外はやっぱり面白いですよね。自分が思ってたような展開にならなかったり。ひょんなところから今日のインタビューの話が来たり。そんなところですね。
――思った通りにならなかったってどんなことなんでしょう。
ひとつは仕事を断ったんですよね。全然悪い意味ではなくて、当初想定していた仕事をするには、その会社のフェーズが少し違って「今じゃないよね」って思う場面があって。そこには仕事はあるんです。でも私じゃなくて他の人を雇った方がその会社にとってもいいって思ったから「私の仕事じゃないからいまは離れますね」って話して。相手もたしかにそうですねって納得してくれて、関係性はいまでも続いています。それはすごい学びでしたね。
――それって、どう気づきました?焦りと不安のなかにいる私は、来た仕事に慌てて飛びついてしまいます。後になって落ち着いて、もしかしたら、これ自分がやるべき仕事じゃなかったかもしれないと思うこともありました。
それはまあ、自分とのチームワークじゃないかな。
――自分とのチームワーク?さっきから「仕事を自分にさせてみる」とかさ、もうひとりいるような話し方をするのはなぜだろう?と思っていました。
変に思われたら嫌なんだけど。なんというか、クセというか、私は占いとかで客観的に自分をみようとしたりもしてきたし、小さい頃からそういう風に自分と付き合ってきた経験があったからなんだと思うんだけど。自分の中にもうひとりいる感じなんですよね。自分と自分を見ている自分というか、自分を育ててる自分というか、マネージャーの自分。話もしたりするよ、たまに(笑
――それは、どんな人なんですか。
優しい時もあるし、"その人が"牙をむいている時期もありますよ。"その人"からは逃げられないから、ずっと怒られたりする。つらいよ。今は色んなことを経て、段々変わってきた感じがある。
――どうしたら、自分の中の自分とうまく付き合えるんでしょう。
どうしたら“その人”が快適かを考えてあげることじゃないですか。でも「こんなにやってあげたのになんでお前はいつもそうなんだ」とか言ったらだめですよ。恩を売っても返ってこないって思いつつ、“その人”がどうしたら快適であれるか考えて、ケアしてあげたりする。「元気?最近どう?」「調子悪そうに見えるけど何が原因なの?」「お腹すいてない?食べに行く?」みたいな。
――それは、さっき言ってた「自分のとのチームワーク」につながる感じがします。
“その人”が快適であると、“その人”が自分にかけてくる言葉も快適なものになっていくから、自分にもメリットがあるわけです。今、二人いるみたいに言ったけど、客観的にみたら、自分でやってるだけだから。“その人”が食べたいものを食べさせてあげるのは、自分が食べたいものを食べるだけだから。
――“その人”の話を聞くことは、自分の本音をちゃんと聞いてあげるってことですよね。“その人”とのチームワークの中で、そのお仕事は自分のやる仕事じゃないかもしれない、ってことがわかったんですね。
「あんま楽しそうじゃないけど、どした?」って感じがしたんですよね。“その人”が楽しそうじゃないってことは、自分が楽しくないって思っているってことだから。
「最近なんかいそがしいって思ってて」「あーたしかにー!」「もしかしてこの仕事って君のじゃないんじゃない」ってやりとりして「なんでだろうね」と考えて。「じゃあ向こうにとってのメリットってなんだろう」って、相手の会社がどう快適であったらいいかも考えたんですよね。おそらくあのフェーズでは、こういうことを求めている。「その求められている仕事、私のリソースでできるかな?」「そのリソース使うの、たのしい?」って自分の中の自分に問いかけて「いやちがうな」ってこともわかった。
「なんだかとってもちょうどよく生きられることを証明し続ける」
――フェーズが違うってことに気づいて、判断して、身を引く。簡単に言うけど、なかなかできないことですよね。

元々、不快さに対して敏感なんですよ。自分のことをメダカだって思っているんだけど、汚い水にはいられないの。それが欠点だってずっと思ってたんだけど、いいところだなって。めっっっっちゃくちゃ暴論なんですけど、「私がいられないような場所なんて、しーらない!どうにでもなれー」っていう。その方がきっと生きやすい世の中になるから、そんな場所には手を貸さないって思うことにしてる。あとは、私自身が適材適所をとどめてはいけないという『ちょうどいいをつかさどるもの』として、覚悟が結構決まっているなっていうのは思う。
――自分自身の「ちょうどいい」生き方ができていない人が、「ちょうどいい」をつかさどれない。
さっきは省略しちゃったけど、私のモットーは正しくは「なんだかとってもちょうどよく生きられる世の中を証明し続ける」なんです。どこか未来にあるちょうどいいじゃなくて、いまこの瞬間からちょうどよくありたい。「こういう世の中にしたい」ってよく言うけど、それって今は違うってことじゃないですか。私はそれじゃ満足できない。
――ついつい、今はつらいけど我慢して耐え抜けば、いつかいいことあるって思っちゃいますね。
ないとおもう私は。我慢の先には無いと思う。っていうか無いってことにしてる。無いから、先に利益確定する。すっごいわがままですけどね(笑)例えば、今やっているラジオもファンが増えて有名になるとか再生回数が伸びるっていうのを目指さないわけじゃない。けど、それを目的には絶対にしない。今目の前の一回一回、ゲストの人と話していることが楽しい。それが重要。それでOK。
でも、それぞれが持ってる環境とか才能とか、いろいろ違うじゃないですか。だから、我慢することがみんなダメだとは思わない。ちょうどいいも人それぞれだし。
ちょうどいいって、難しいんですよ。これだったらちょうどいいっていうものでもない。瞬間瞬間とか人とか状況によって変化していくから、永遠の基準があるわけじゃない。つねに問うてる必要があるものなんだと思います。だから私のやり方が正しいとかは全く思わない、答えじゃないんですよね。
責任取れないんでマネしないでくださいって感じもあるし。だから、「やったのにできねーじゃねーか」といわれても困っちゃいます(笑)

最後に、インタビューで聞いた、りっかさんの最初の言葉を紹介します。
「最初に言っとかないとって思ったんですけど、もしお願いができるんであれば、ちょっとぶちゃいくな記事にしてほしい。世の中にはかっこいい記事がいっぱいありすぎて、バランスが悪いと思うから。私がインタビューしてもらう時はぶちゃいくにやってもらったほうがうれしいなって思っています。イメージ、読んだ読後感が、すごいなーじゃなくて、ああこの人友達になりたいなーみたいな。そういう感じです。」
実は、私はこの言葉をもらったときに「うわー、期待にこたえられるかなー」と力が入りすぎてちゃんと話が聞けず空回り。インタビューの後、宿題をもらったように「良い記事ってなんだろう」「そもそも私が書きたいものはなんだろう」と考え続けていた。
こうして書き終えてみると、最初に話してくれたこの言葉は「なんだかとってもちょうどよく生きられる世の中を証明し続ける」というりっかさんのモットーに深く繋がっているなと思う。
インタビュー記事は、たしかに普段のその人よりかっこいい記事になってしまうこともある。もちろんそれも素敵なのだけど、ほんの少し物足りない気持ちになるとしたら、その時失われているのは、その人らしさに触れたという実感なのかもしれない。それは時には「ぶちゃいく」なものかもしれないけれど、その人の根っこなのである。いいな、と思う記事は、その人らしさの根っこに触れて、その人に会った感じがする。
「ちょうどいい」を大切にするってことは、その人らしさを大切にするってことなんだな。もっと色んな人の話を聞いて書いていきたい。一見「ぶちゃいく」なものも失くさずに、その人と「会った」実感を大切にしながら、丁寧に聞いて書けるようになりたい。そんな風に生きていけたらとても幸せだな。
りっかさんのお話を聞いて書く時間の中で、そんなことを思いました。
(執筆/荒田詩乃、撮影/小松亜希子)
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