近づいたり、離れたり。言葉を急がないために——東中野「詩をはじめる本屋 蒼枯」
2026.07.08
東中野駅のそばにあるホシノビルには、個性豊かな独立系書店が集っている。4階にあるオルタナティブ書店「platform3」。そして今年の春に、2階に誕生したのが「詩をはじめる本屋 蒼枯」だ。
「詩をはじめる本屋 蒼枯」を始めたのは、青海賢(あおみ・すぐる)さん。彼は、「掛川詩・西荻詩」という詩を出版した詩人でもある。
実は、3年前にインタビューをさせてもらったことがある。その頃、彼は西荻窪の古本屋で働きながら、遺品整理と記憶をテーマに本屋を構想していた。そこから時が経ち、本屋が誕生したと聞いて、お話をまた聞かせてもらうことにしたのだ。
「お久しぶりです」と店内に入ると、古い家具を使った本棚など、あたたかみのある空間が広がる。お店の名前に付けられた「蒼枯」という言葉は、苔(こけ)などが生えて古めかしく寂びた様子をあらわすもの。受け継ぐことなど、昔の青海さんと変わらない関心を感じるとともに、そこに新しく詩というエッセンスがたしかに息づいている。
いかに詩と出会い、今の本屋に辿り着いたのか。その実感を聞いてみたい。
小説が読めないときに、詩と出会うことができた

ーー窓から光が入ってきて、電車の音も聞こえてきて、とても気持ちの良い場所ですね。
そうでしょう。ここのビルの上にある本屋「platform3」の店主にご紹介してもらえたことが、ここでお店を始めたきっかけです。
3~4年前くらいに新宿2丁目のバーで、お話をさせてもらったんです。当時から『いつか本屋をやりたい』と話していたので、覚えてくださっていて。
僕にとっては、お酒を飲むことがコミュニケーションツールになっています。特にあの頃はよく飲んでいました。まあ、いろんな人とつながりができて、店に遊びに来てくれる人も、なんだかんだとお酒での出会いの方も多いので、いいかなと思っているのですが。
ーー前回のインタビューも、西荻で飲んでいる時のお話が特に面白かったです。そのころ考えていた遺品整理と本屋から、詩をはじめる本屋に変化していったこと、そこからお話を伺ってもいいですか。
遺品整理と古本を考えることも行っていたのですが、やっぱり実際のニーズはなかなか少なかったんですよね。
詩を読み始めたのは、その頃です。元々本が好きで長めの小説を読んでいたのですが、文章が頭に入ってこないというか、読めない時期があったんです。心理的なもので、心が焦ってたところもあったのかもしれないけれど。
そんな時に、古本屋の先輩から詩を薦めてもらい、詩に触れてみると読める感じがした。詩は余白が多いので、決まった通りに読まなくてもいいと思ったのかもしれません。
ーーなるほど。ちなみに、最初に読んだ詩はどんな詩なのでしょうか?

絶版になってしまっているのですが、吉岡実という詩人に触れたことが最初です。哲学者でウィトゲンシュタイン研究をしている古田徹也さんが『絶版本』という本のなかで、その詩人について紹介をしていたんです。
そこには、詩が学者の暮らしのなかで、どう置かれているかが書かれていて、それがとても良かった。その後も沢山詩を読むわけではなくて、『なんかよかったなあ…。』という感覚が、ずっと自分のなかに残っていたんですね。
曖昧なものや、立ち止まることが失われつつある
ーーそこから少しずつご自身で詩を書くことにも、取り組んでいかれていますね。
日記や小説を書く習慣がもともとあったので、詩も書いてみるようになったんです。あるとき友人と話をしていて、『本を作ったら面白いんじゃないか?』と、出版をゴールに詩を書くことが始まりました。
西荻窪の古本屋で働きながら、飲み屋で聞いた色んな言葉。ふるさとである静岡県・掛川の海を眺めながら感じた言葉など、自分自身の生き方を感じていた時間が「掛川詩・西荻詩」の2冊になっていきました。

ーー「掛川詩・西荻詩」は、フィルムの独特の味わいのある写真と、言葉が組み合わさっているのが印象的です。
写真は、大学の同級生でもある写真家・牛丸維人が撮影してくれています。言葉の質感を捉えたうえで、写真の具体性を考えて、組み合わせていく。
この本で何が生まれたのか、ずっと言葉にしづらかったんです。でも本屋をはじめて、SNSなどで言葉を発信するようになって、少しだけその意味がわかった気がして。
言葉の使い方をぼかすことをやってみたかったんですよ。この時代において、言葉をぼやかすことが大事になる局面や、曖昧に伝わった方がいい部分もあると感じるようになったんです。
ーーそれは、どのような時に感じたのでしょう?
「アメリカから平和を考える」という棚を作ったんです。そのことをSNSで発信して、ありがたいことに、反応を多くいただきました。
しかし、なんというか、言葉ばかりが伝わってしまっている感じがして。平和は大事ですが、その間にある色んなものが削り落とされてしまう感じもしたんです。曖昧なものや、立ち止まる事が失われている。そういう危機感を持って詩を書いていることもあると思います。

まっさらな場では、詩は読めない。重なりを生み出す、ノイズのある本屋

ーー店内の本棚は、どのように作られているのでしょうか?
詩を中心に本を選んでいるのですが、新刊の500冊からはじめて、やりたいことをなんとなくやりつつ、古本で肉付けしていく感覚でお店をつくっています。
「詩と抵抗」「詩と仕事」とか、「詩と〇〇」と組み合わせて展開を考えながら、選んでいる特集の本棚がいくつかあります。
ーー「アメリカから平和を考える」棚に、藤本 和子「塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性」や、アメリカの作家・歴史家・アクティヴィストであるレベッカ・ソルニットが並ぶなど、詩だけではないのも特徴的ですよね。
詩という窓から社会を見ること、文学から社会を見ることも考えています。別の本屋さんの言葉ですが「文学は間を埋めるところにある」と言っていたことが、そうだなと思って。
僕自身も解像度を上げて考える必要があるとは思うのですが、細分化している世の中で、文学が間を埋めるものになったらいいと思うんです。間があるからには何かがあるわけで、それはなんだろうと考えながら本を選んでいく。「塩を食う女たち」は、そういった本として置かれています。
ーー詩人の方のトークや、絵や写真の展示など、さまざまなイベントも開催されていますね。

展示もイベントも、お客さんの関心を知ることができる場です。詩に関心がない方が多いので、箱としてのこの店を好きになってもらうためのひとつとして、さまざまなことを行っています。
いろんな事を行うのは、もうひとつノイズ的な意味もあって。ここは駅が近くて、電車の音も聞こえるので、場所的にもノイズが多い。詩がその人に響くとき、自分の経験と重なることが起きていると思うんです。そういった重なりが生まれるためには、雑音が必要だとも思うんですね。
まっさらな綺麗なところでは、詩はあまり読めない気がする。ちょっとノイズというかね、そんなものが生まれる本屋になればいいのかなと思いますけどね。
ひらいたり閉じたりしながら、摩擦のある言葉を届けていく
ーー4月から本屋さんをはじめて、いま感じていることなどをお聞かせください。

迷いもあるのですが、この場所はひらかれる存在であり、かつ閉じた方がいいのかなと、考えたりもするんです。
詩をはじめる本屋として、まだ詩を読んだことがない人にも、詩に触れてほしいというひらく方向があります。その反面ある程度の濃度がないと、詩として成り立たないと感じる部分もある。詩人として、ある意味閉じたコミュニティも大切にしていく。そんなことも、考えていたりしますね。
ーーひらかれる存在でもあり、閉じている。その感覚は面白いですよね。
それは、つかず離れずみたいなことでもあるんですね。詩ばかり読みすぎると逆に見失ってしまうこともあるし、習慣のように詩を読むことで、逆に詩の良さがわからなくなってしまうこともあると思うので。
性格的な部分でもあるのかもしれませんが、一直線じゃないんですよね。本屋もいろんな仕事があり、詩を紹介する時もあれば、普通に店のオペレーションとかビジネスの面もあったり、人付き合いとかいろんなものがある。
近づいたり離れたり、さまざまなバランスを保ちながら、日々のやりくりをしていく。そういう方がなんかね、人として健全なのかなと思うんですよ。
ーーひらいたり閉じたり、近づいたり離れたり。それは詩を読む感覚にも似ている気がします。

それは、今の時代に詩の本屋をやることで伝えたい事のひとつでもあるかもしれません。立ち止まって、相手が何を言おうとしているのか、考えることだと思うんです。
自分の声を探り当てることも大事ですけど、やっぱり詩は立ち止まる、立ち止まらざるを得ないものなので。読みながら、スッと読めなくて、いや難しいな…みたいな。
そういう、少し摩擦のある言葉との出会いを提供できればと思います。そうすると、カッとなった時にも、「いやいやちょっと待てよ」と考えられるじゃないですか。

これからまだまださまざまなことを考えていきたいと思うんです。それが具体的に何かっていうのは、まだ言葉にはしづらいんですけど。
最近、とある写真評論家の方がお店に来てくださって、その方が書いたテキストに写真家の森山大道の話が出てきました。彼の作風が注目を浴びて、模倣する人やそれを批判する動きも出てきて、森山自身も、何が何だかわかんなくなってしまったと。
彼はそういった事象に、文章を書くことで対抗していった。自分もそうありたいと思う。詩以外のことも扱いながら、詩のことを考えていく。どうやったら、自分の理想の店になれるんだろう。答えはまだ見えないですが、もっとがんばりたいと思っています。
取材日:2026.5.9
Text by 荒田詩乃,Photo by 小松亜希子