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自分にできることは小さいから 協力隊で熊あゆみさんが見つけたこと

自分にできることは小さいから 協力隊で熊あゆみさんが見つけたこと

 2023.02.19

自分の中の当たり前が壊される瞬間って、なかなか出会えないもの。


市役所に勤務する熊 あゆみ(くま あゆみ)さんは、青年海外協力隊として、アフリカのルワンダで1年半活動をしてきました。


「毎日が当たり前じゃない日々だったな、本当に人生観が大きく変わったと思う」


彼女と私は、市役所で一緒に働いていた元同期。

二人でおしゃべりするようなインタビューになりました。


熊さんが、ルワンダで活動した日々を通じて考えてきたこと。

そして、日本に帰ってきて今感じていることに耳を傾けてもらえたら嬉しいです。



熊 あゆみ(くま あゆみ)

1990年生まれ。埼玉県出身。東京農業大学国際食料情報学部国際農業開発学科卒。地方公務員として5年間勤務した後、青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)に現職参加。ルワンダで野菜栽培隊員としてルワンダ南部にあるフイエ郡庁に勤務。新型コロナウイルス感染症拡大のため任期途中の1年半で日本へ帰国し、復職。大学・自治体などで国際協力に関わる出前講座等の講師も務める。




アフリカのルワンダで野菜栽培を


――2018年の秋から2020年の春にかけて、アフリカで青年海外協力隊として赴任してきたんだよね。向こうでどんな活動をしてきたの?

アフリカ南東部ルワンダの地方都市、フイエ郡の郡庁に行っていたの。農村じゃなくて結構タウンでね。活動ジャンルは野菜栽培で、仕事は、農業組合をまわって野菜栽培の指導をすることだったんだけど、環境が整ってないから情報も無くて、自分で開拓しないといけなくてさ。


――手探りで模索をしながら、少しずつ活動していく感じだったのかな

そうそう。5,6年前のJICAプロジェクトでの調査結果があったから、それを日本で読んで、まずは現状を調べたいと思ってた。でも、郡庁の人に聞いてもなかなか情報がもらえなかったりしてね。コーヒー部門の協力隊の先輩が行ってた農家さんで育てている野菜を見せてもらったり、個別に訪問してた。あとは、他の隊員さんが行ってた学校で、畑で給食の野菜を育てていたから、子どもたちも一緒にやれば食育になるかなって。「畑貸して!この区画の畑使っていい?」ってめっちゃぐいぐいと(笑)


――ルワンダでは、どんな野菜が栽培されているの?


日本と似ていて、キャベツ、にんじん、きゅうり、ナスとか。協力隊に応募したときには、「キャベツとトマトをやってください」と言われたけど、はじまってみたら野菜全般担当で。向こうは芋がおいしかったな。どこでも育てられるからだと思うけど、ジャガイモ、サツマイモ、あとはキャッサバっていうアフリカで有名な芋もよくとれたよ。


――ルワンダでの日々の暮らしはどんな感じだったのかな。


何がわかりやすいかな。買物は、スーパーはあったけど、乾燥したものと日用品とお菓子だけ。野菜はマーケットっていう市場で買う。都市だったから、毎日マーケットが開いてて、洋服も日用品も不便がなかったけど、農村は週二回しかあかなくて他では何も買えないの。私の街は、パン屋、中華料理屋、山羊の串とビールが出るバーもあったよ。私は小さい商店が好きで、おばちゃんがやってたカウンターにパンやビスケットとかジュースがあって、牛乳が飲めるとこによく行ってたな。


「ないものねだり」がルワンダで変化していった


――ルワンダに行って活動をしたことで「人生観が変わった」と話してくれたね。そのお話を聞きたいな



結構、価値観変わったよ。これまではないものねだりのような、現状や与えられたことに満足しないところが日本ではあった気がするんだ。理想を求めてたのか、状況がすべて嫌だったのか。アフリカって日本だと貧困というイメージが強いかもしれないけど、その中でもみんな楽しそうで。現状を仕方ないと考えている現地の人もいたかもしれないけど、生活を嘆かないというか。そういう所を見て、私はないものねだりで楽しめてなかった、楽しもうとしてなかったって思ったんだよね。


――ルワンダに行ってないものねだりだった自分に気づけた。結構大きい変化だけど、どうしてそう思えたんだろう


実は向こうでめっちゃ体調を崩して。最初は胃腸不良みたいな感じで、外に出るのがしんどくなって。常にご飯食べても胃がぐるぐるして。急に気持ちが悪くなって眠れないし、体調悪くて起き上がれなかったときもあって。向こうの抗生物質を飲んだら、善い菌とか免疫がやられて口の端っこ切れたりして。

それで、ある日「あ、これはだめだ」って思ったんだよね。

その日をきっかけに、気持ち悪くなっても栄養をとって、身体にいいことしよう、結局自分しか自分を助けられるひとはいないって思ったの。自分のことが一番わかるのは自分だし、自分でなんとかしないといつまでも変わらないんだって、それは体調面だったけど、そのことで気持ちもぐっと変わった気がする。


――それがきっかけだったんだ

そこから、ないものねだりからあるものに感謝しようって、がらっと変わったの。例えば、向こうの時間と日本の時間の流れは違う。約束しても時間に来ないのは普通で。予定を忘れてたり、活動が進まないことが結構あって。最初はそれにも結構モヤモヤしてたんだけど、日本人はちゃんと時間に正確ですごいなとかも思いはじめたんだよね。

むしろがんばりすぎじゃないかとも思った。ルワンダのレストランで注文したとき、店員さんたちが先に自分のごはん作って食べて1時間後に出てきたりもしてさ(笑)こんな生き方もあるんだなって。日本人ももっと気楽にやればいいんじゃないかなって思った。


――ないものねだりで何もかも嫌だったけど、もっと気楽にやればいいと思えた


ルワンダの人は自分の感情に正直で、言いたいことがあれば言う。だから逆に私も言いたいことは言えたこともあってさ。日本人のコミュニケーションってお互いの空気を読むところあるじゃない?ルワンダの人はそれがなくて、思ったことを言ってくれてシンプルでしがらみがない。正直にちゃんと話せることは楽で心地よかったな。

調子悪かったときにもさ、外でからかわれたことがあって。よく向こうでアジア人は外を歩いていると「チャイナチャイナ」って言われるんだけど、それに対してずっとイライラしてて。体調悪くてごはんもあんま食べられず体力もないときに子どもたちに「チャイナチャイナ」って言われて。もう怒る気力が無くて、話しかけてみた。「何してんの?元気?もう勘弁してよ」って。そしたら、悪意を持って言ってたんじゃないってわかったんだよね。正直に話して、すごく気が楽になったんだ。


市役所で働いてから、ルワンダに行って本当に良かった


――市役所で働いていた熊が、どうして青年海外協力隊としてアフリカで活動をすることに関心を持ったの?



最初はね、小学生のときの授業でアフリカの食料危機の映像を見たことがきっかけで。いつかアフリカで活動したいって頭の片隅にあって。高校生で「何がやりたいんだろう」って考えたときに「農業だ、アフリカの人が継続できる農業を一緒に考えたい」って農業の大学に進学した。第一志望じゃなかったけど、入った大学が協力隊の最短ルートだったって今では思ってる。いいところに行ったなって。


――でも、大学を卒業して、その後、地元の市役所に入職したんだよね


実はね、農業やりたいって大学に入ったけど、部活に時間を使ってしまって、あまりアフリカにふれられなかった。せめて資格をとろうと学芸員の実習に行った博物館で素敵な公務員の人たちに会って。こういう人たちになりたいって市役所の職員を受けたの。結構私ブレブレだな(笑)


――なるほどね。新卒から5年間働いて、やっぱりアフリカに行きたいって思ったのはどうしてなんだろう?


もともと、30才頃にアフリカに携わりたいって漠然と思ってた。でも、26のときに、年齢考えたら今しかないって気持ちが急に出てきた。最初は新卒で行った方がよかったかなって思ったけど、市役所で働いてから行って本当によかったなって。市役所で働いていたときに理解できなかったことが、ルワンダで活動して腑に落ちた瞬間があったの。


――遠い世界のように思えるけど、そんなこともあるんだね


例えば、市役所ってとにかく色んなことを記録する。日本にいたときは、それ必要かな?って思うこともあったけど、ルワンダに行ってから、文化も違う人に自分の言いたいことをわかりやすく伝えようとすると客観的なデータがすごい重要だなって。思いだけじゃ誰も納得してくれない。なんとか説得しようとして、ここまでいる?という細かいデータも全部作って出したらわかりやすいと言ってもらって。あ、こういうことだったんだ、やっぱりデータや記録は大事だなって思ったんだよね。


「こっちの方がいいよ」ではなく「引き出しのひとつになったらいい」



人との関わり方も、ルワンダに行ってわかったこともあって。みんな自分のやりたいことがあって、それは日本でもルワンダでも一緒。ルワンダでやりたいことが私は色々あったけど、現地の人は生活に満足してる。そのことがもどかしく映るときがあって。例えば、あんまりお金にならない葉物の野菜をつくってた人に、「他の野菜もあるよ」と伝えても「むずかしくて作れない」と頑固な人もいた。そのときに、日本で会った「やりたいことがあるけどうまくいかない」というフラストレーションを持った人たちの気持ちがわかったんだよね。


――日本にいたときにはわからなかった人の気持ちが、わかるようになったんだ


違う視点の人っているんだなって身に染みてわかって。そこから、何を考えているんだろうと、よく質問するようになった。こちらの視点で見ると、一見効率の悪いことに見えても、その人なりの心情でやっているんじゃないかって。聞いた上で、こんな情報もあるよって、引き出しのひとつになればいいって思うようになった。こっちの方がいいよ、ではなく、候補のひとつとして思い出してくれればいいなと。


――情報や意見を伝えるときに「こっちがいいよ」ではなくて、「こんな引き出しになればいいな」って、相手に委ねる感じがするね


そう思うことで、だいぶ気が楽になったんだよね。言いたいことは伝えて、あとはその人に任せようって。私のやりたいことを押し付けても相手は嫌だし、やりたいことを選ぶのは本人だから、あくまでもひとつの情報提供みたいな。


アフリカの人に対して、貧困をなんとかしなきゃと思っていたけど、それぞれ望むものは異なるし、こっちの思っている感情に引き込むのも違う。きっかけや情報は渡すけれど、あとはその人に任せる。情報をもとに実行してもらってもいいし、そのままの生きかたでもいい、そう思えるようになったんだ。


不便を攻略していくのって、けっこう面白かった



日本に帰ってきて一番感動したのが、いつでもお湯が出ること。ルワンダでは、給湯器故障してから、コンロで鍋にお湯沸かしてたらいで水浴びをしてた。日本でシャワーに感動して、湯船につかって、背中であったかさを感じる幸せ、うわーあったかーい!って。


ルワンダでは雨が降ると停電するし水が止まる。携帯も、プリペイド式でチャージが終わると前触れもなく切れる。電気もガスもタンクが無くなったらおしまい。一度お風呂のお湯を沸かしてたらガスが止まったことがあって、泣きそうになった。夜遅くてガス屋さんもやってないし、悲しいからぬるま湯にタオル浸してしぼって身体ふいて寝た‥。


――すごいな(笑)それは大変だ


でも実は、そういう不便が結構楽しかったんだよね。どう攻略していくか、みたいな。日本にいたときって無かったら買えばいいと思ってたけど、ルワンダはそうはいかない。例えば、日本ってお惣菜売ってるけどルワンダは基本原材料だったから、料理をする時間をつくる。あとは布製のスリッパ。靴を脱いであがる習慣がないから、布製のスリッパがないけど、どうしても欲しくて縫って作った。


大それたことじゃないけど、自分の住みよいように工夫するというか。虫が出てもそのまま外出てたりしてたけど、帰ってきて虫が目線に入るのがストレスに感じるんだとわかって、簡単な掃き掃除をルーティーンにしたり。自分のことも知ったかな。何が自分は好きで、何が嫌なのか。日本と環境や状況が変わった生活の中で色んなことに気づいた。


――攻略していく日々の中で、自分自身に気づくことが増えたんだね


だからおもしろかったの。それにね、当たり前だったことが当たり前じゃなくなったとき、攻略法を考えられたのは、社会経験があったからかなと思って。一見壁のように見えても、実は他の方法があることを日本で働いて経験したから。それでも「え、なんで?」ってルワンダで思うことはいっぱいあったけど、乗り越えると、一つのことにとらわれなくていいんだなって。毎日がそんな感じだった。


「自分にできることは小さい」からこそ、できることはある


――新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、任期途中で日本に帰ってきて、今は市役所に戻ってお仕事をしているんだよね。今の暮らしの中で考えていることをよかったら教えて



実はね、ルワンダに行く前は、協力隊の後に国際協力の仕事に携わりたいという気持ちも少しあった。でも、今は私が市役所に戻れるよう条例を作ってくれた人に恩返ししたい気持ちもあるし、自分にできることってどこでもあるんだなって。


――「自分にできることってどこでもある」ってどういうことだろう?


自分のやっていることはルワンダだけじゃなく、日本でも活かせるって思ったんだよね。だから今は、いますぐ日本を飛び出して国際協力に行きたいとそこまでは思ってない。どこにいても自分にできることはあるのかなって。もちろんルワンダでやりのこしたことはあるし、コロナで急に帰国して、友達にあいさつしないまま帰っちゃったから、いつか会いに行けたらいいなとは思っているけど。


いまはやっぱり、向こうで学んだ、目の前の仕事を精一杯やる、真剣に取り組むってことが大きいな。今まで報道でしか知らなかったことを実際に見て、向こうの人が生活を楽しんで笑顔で過ごしているのをみて、自分の中で解釈して、焦りみたいなのがなくなったこともある。


――ルワンダに行くまでは「焦り」があったんだね


苦しんでいる人たちを自分がどうにかしなきゃいけないという焦りがあって、変な正義感が強かったのかも。でも、ルワンダに行って、自分だけじゃなくて色んなひとがサポートをしていることも知ったし、自分のできることをやっていけばいいと思えたんだよね。


ルワンダでは、自分ではどうにもできないこともいっぱいあったから、ほかの人に頼ることもはじめた。外国人がひとりで正義感をふりかざしたってなにもならないって感じることもあった。実際に行って活動する中で、自分ができることって結構小さいなっていい意味で思って。


――「自分ができることって結構小さいな」って、一見ネガティブな言葉にきこえるけど、そうじゃないんだよね


そう、できることは小さいから何もできないわけじゃない。自分の立場を知って、力がそんなにないからこそ頼って、ときには周りの人に流されたりしながらやっていく方が物事ってうまくいく。ルワンダで活動する中で知ったんだよね。


だから、価値観は変わった。本当にそれまでは理想が高かった。やりたいこともいっぱいあったし、これを「自分が」絶対成し遂げるんだってところもあったけど、いい意味で自分の立場を知って、いま自分ができることをやろうという気持ちにつながってる。

だから行けてよかったな、って本当に思っているんだ。


(執筆/荒田詩乃、撮影/小松亜希子)


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